大判例

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京都地方裁判所 昭和45年(ワ)1054号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕みぎ争いのない事実や<証拠>によると次のことが認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

(一) 本件事故現場の模様は添付図面のとおりで、府道の両側は商店や民家で、道路幅員は、5.9米である。

事故当時は、小雨が降り、薄暗かつた。本件事故現場の制限速度は、三〇粁である。

(二) 被告は、制限速度が四〇粁であると誤解し、時速四〇粁で、峰山方向に行く車道を東進し、②点より北27.35米の辺で、点に、軽四輪貨物自動車が停車しているのを発見した。

(三) 被告は、そのまま②点に進み、対向車と離合し、車を追い越すべく、そのままのスピードで、④点まで出たとき、車の前部から府道を小走りに南西に横断する人影を発見し、あわてて急制動の措置をとつたが、点でと衝突した。④点と点との距離は、4.3米である。

(四) 被害者である増田高志は、事故のあつた日の午後二時ごろから、丹後町間人の町はずれにある訴外瀬戸明利(原告増田佳代子の兄)方に独りで遊びに行き、再び独りで帰宅しようとしていたところを、訴外東輝彦の運転する車に同乗していた瀬戸明利が声をかけ、車に乗せて、同人方から府道まで出た。そこで、原告増田佳代子に出あい、同原告の指示で、増田高志を、春駒まで送ることになつた。春駒は、増田高志の養われたところである。

東輝彦は、車を運転して前記車停車地点まで来て停車し、まず助手席に乗つていた瀬戸明利が降りたところ、増田高志は春駒に行くべく下車し、そのまま車の前部を走りながら廻り、横断して行つた。これが人形である。このとき、増田高志は、安全を全く確認しないで走り出た。このとき、加害車が、右側から走つてきて衝突し、増田高志は点にはね飛ばされた。

以上認定の事実からすると、被告には、制限速度を超えて追い越しをかけ、車の前方に対する注視警戒を怠り、安全確認をしなかつた過失があるが、他方、被害者である増田高志は、春駒に行くことに気を奪われ、車の前部から、横断歩道でないところを走つて横断したもので、これは増田高志の過失であり、本件事故発生にこの過失が寄与したといわなければならない。そうして、増田高志の過失が、五、被告の過失が五とみるのが相当である。なお、この割合は、被害者増田高志の年令を加味したものである。

もつとも、原告らは、増田高志には、事理弁識能力がないから過失相殺をするべきではないと主張しているので判断する。

<証拠>によると、増田高志は死亡時五才六カ月(昭和三九年七月四日生)で、保育園に通園し、別に身心に異常はなく、家庭で交通事故については厳しく注意を与えていたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

そうして、このことと、前記認定のとおり、増田高志は、事故のあつた日独りで瀬戸明利方に遊びに行き、また独りで帰宅しようとしたこととを併せ考えると、増田高志は、原告らによつて、安全に独り歩きができるものとして扱われていたのであるから、増田高志には、事理弁識能力があつたとしなければならない。 (古崎慶長)

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